一枚の写真から始まった、原点の記憶
古いアルバムの中から、懐かしい写真が出てきた。写っていたのは3人の男たち。私がトレイルランニングに出会う、もっと前――その始まりの頃をともに過ごした仲間たちだ。
この2人の会社の同僚がいなければ、きっと私は今のようにトレイルランニングに夢中になることもなかっただろう。これは、私のトレイルランニングの原点にまつわる物語だ。
趣味がつなぐ縁――カトちゃんとの再会
まず紹介したいのは「カトちゃん」。1990年代半ば、大阪に転勤していた私は、彼と同じ店舗で働いていた。当時は仕事のつきあいだけで、プライベートな関わりはなかったが、2000年代半ばに本社勤務になった頃、再び関係が近づいた。
ある時、何気ない会話から趣味の話で意気投合。バスフィッシングやボートシーバスフィッシングに一緒に出かけるようになった。そこから「キャンプもやってみよう」と話が広がり、もうひとりの同僚「トイちゃん」に声をかけた。
キャンプから登山、そして山遊びへ
トイちゃんとは、前の会社からの縁があり、数少ない先輩のひとりだった。最初は3人でのキャンプが中心だったが、やがて家族ぐるみの付き合いへと広がっていった。
キャンプだけでは物足りなくなり、キャンプの前後にトレッキングを始めたのが2007〜2008年ごろ。当時は「山ガール」ブームの真っただ中で、登山熱が高まっていた時期だった。
私たちはまず奥多摩や丹沢といった都内近郊の山から登り始め、尾瀬、谷川岳、日光白根山、大菩薩嶺、金峰山、瑞牆山、北八ヶ岳、赤岳などへと足を伸ばしていった。
ウルトラライトとトレイルランへの転換点
2008年には三鷹に「ハイカーズデポ」がオープンし、私たちはそのウルトラライトハイキングのスタイルに影響を受けた。そして、その延長線上にあったのがトレイルランニングだった。私たちの山での遊び方は、自然と「走る」方向へと変化していった。
一番遅れて走り出した私
3人の中で、トレイルランニングを始めたのは私が一番最後だった。運動習慣はまったくなく、体重も今より10kg以上重かった。当然、体力も一番劣っていた。登りでは2人に大きく差をつけられ、下りでは颯爽と走っていく姿に悔しさを覚えた。
そんなある日、カトちゃんがハセツネ(日本山岳耐久レース)を完走した。2011年のことだった。彼の熱く語る体験談に、私の中の何かが動いた。自分も挑戦したい、自分を変えたい。そう強く思うようになった。
トレイルランニングとの出会い、そして初挑戦
2012年元旦、私は走り始めた。同年6月には、両神山麓トレイルランでレースデビュー。距離は20kmほどのショートレース。ペース配分も分からず、前半飛ばしすぎて後半は足が攣りながらのゴールだった。
それでも、非日常の大会の雰囲気、自然の中を駆け抜ける爽快感、苦しさの中にある達成感――すべてが新鮮で、トレイルランニングの魅力に一発でハマってしまった。
同年秋には念願のハセツネに初挑戦。週末ごとに試走を重ね、本戦では初出場ながら完走を果たした。
そして100マイルの世界へ
気がつけば、私は3人の中で一番トレイルランニングにのめり込んでいた。2015年には100マイルレース「KOUMI100」に挑戦。ペーサーとしてカトちゃんに伴走してもらい、完走を果たすことができた。
それぞれの人生と、山への想い
一方、トイちゃんは店舗勤務となり、週末の休みが取りにくくなった。カトちゃんも部署異動と子育てにより、トレイルランニングから徐々に距離を置くようになっていった。
それぞれの人生のステージが変わり、あの頃のように山へ行く機会は減ってしまった。
また、いつか――山で会える日まで
写真を見ながら、ふとあの頃を思い出す。2人がまたトレイルランニングを再開することがあるだろうか。いや、別に走らなくてもいい。いつかまた、3人で山遊びができたら嬉しい。
きっと私たちの中には、あの頃の火がまだ残っているはずだから。