DNFの文字が記されたゼッケン。
2回目のONTAKE100マイル挑戦も、またしても完走には届かなかった。今回もリベンジは果たせなかった。
ONTAKE100マイルへの再挑戦
2019年7月13日・14日、長野県の御嶽山山麓を舞台に行われたトレイルランニングレース「ONTAKE100」に出場した。
「100」の単位は「マイル」と「キロメートル」の2種類があり、それぞれ100マイル(約160km)と100kmのレースが同日に開催される。
僕がエントリーした100マイルの部には250名、100kmの部には842名が参加した。
想定外のコース変更
レース直前に大会公式サイトで発表されたコースは、予想外にもこれまでとは逆回り。前回のタイムは全く参考にならず、どう走るべきかの見通しが立たなかった。
不安を抱えたまま、レース当日を迎えることとなった。
雨のスタート
天気予報通り、スタート時は小雨。御嶽山に向かって静かに参拝を済ませた後、夜8時、レースはスタートした。
ヘッドライトが照らす先だけを頼りに、暗闇の中をただ黙々と進む。修行僧のような気分だった。
標高を上げるにつれて雨脚は強まり、やがて本降りに。少し寒さを感じたため、ザックの上からレインウェアを羽織った。
24km地点の水切れ
最初のエイド(24km地点)に到着すると、給水用の水がすでになくなっていた。予想外の出来事に動揺しそうになったが、念のため1.5リットルの水を背負ってきたことで難を逃れた。
経験則として、ONTAKEではエイドの補給には頼らない方がいい。「あればラッキー」くらいの心構えがちょうどいい。OSJに多くを望まないが、この時ばかりは「水だけは切らしちゃダメでしょ」と思った。
第1関門までは順調
38km地点の第1関門に到着。関門時間に対して1時間の余裕があった。前回は各関門をギリギリで通過していたことを考えると、今回はとても順調だった。
このペースなら完走できるかもしれない――そんな希望が見えてきた矢先、異変が起きた。
再発した足底筋膜炎
突然、左足の足底に鋭い痛みが走った。足底筋膜炎だ。荒れたトレイルで何度も足裏に負荷がかかり、ついに再発してしまったようだった。
思い返せば、2014年に初めて100kmの部に出場したときも、同じように足底筋膜炎になった。その苦い記憶が蘇る。
もしかしたら、長い下り坂を飛ばしすぎたのが原因かもしれない。後悔しても仕方がない。問題は、この状況をどう乗り越えるかだ。
まだ40km、つまり全体の4分の1も進んでいない。痛みを無視しようとしたが、どんどん悪化していく。
藁にもすがる思いで痛み止めを服用した。痛み止めは根本治療にはならないことも、効果が切れたときに症状が悪化する可能性も、わかっていた。
それでも、15分ほどで痛みが和らぎ、再び走れる状態に戻ることができた。ホッと胸を撫で下ろして、再び前へ進み出した。
第2関門、痛みと再び向き合う
明け方、52km地点の第2関門を通過。雨はいつの間にか止み、関門時間に対して1時間30分の余裕を確保できた。
しかし、痛み止めの効果は5時間も持たず、再び激痛が足裏を襲う。
2回目の服薬に迷いはなかったが、今度は痛みが引かなかった。むしろ、1回目よりも強い痛み。
走らなければならないのに、走れない。少し走っては痛みで歩き、歩いてはまた走る――その繰り返しでなんとか前に進む。
このレースの制限時間は24時間。走れなくなることは、命取りを意味する。
すれ違うランナーたちの声援
痛む足を庇うように歩いていると、続々と100kmのランナーたちに追い抜かれていく。「100マイル、ファイト!」と声をかけてくれる人もいた。その声援が、何より心の支えになった。
100kmも100マイルも、途方もない距離を進む挑戦者同士。互いに自然とリスペクトが生まれる。
「ナイスラン!」「ありがとう!」「おう!」と声を返しながら進んだ。
やがて余裕が完全になくなり、声を出すことも難しくなった。それでも、片手を挙げて応えることだけは、なんとか続けた。
第3関門突破へ
次の目標は、86km地点の第3関門。
前回、そこにたどり着く前にタイムアウトで終わってしまった。その雪辱を果たすためにも、どうしても越えたい。
足の痛みに耐えながら、ただひたすら前へ進む。
後編に続く。