9度目のフルマラソン、苦い結果に終わる
2019年1月27日、人生9回目のフルマラソンとして「館山若潮マラソン」に出場した。房総半島・館山市を舞台に行われる本大会は、海沿いの絶景とアップダウンのあるコースで知られ、多くのランナーに親しまれている。
今回は3月の本命レースに向けたトレーニングレースとして位置づけていた。設定目標はサブ3時間25分。しかし、結果はネットタイムで3時間40分。前半は目標ペースで進むも、後半に大失速。精神的にも、肉体的にも「耐えられなかった」レースとなった。
走る前から見えていた敗因
敗因は明らかであった。1月中旬、極寒のニューヨーク出張中に風邪を引き、その回復が間に合わなかった。直前の走り込みも不足しており、アメリカンな食生活による体重増加も重なった。体調管理の甘さがそのまま結果に表れた。
さらに、病み上がりを理由に「粘れなかった」メンタルの弱さも露呈した。後半、苦しさを受け止めきれず、エイドのたびに立ち止まって休憩。鼻水は止まらず、再び風邪がぶり返してきた。
「万全な体調でなければ、フルマラソンに出てはいけなかったのか?」
そんな後悔の気持ちが湧き上がる。それと同時に、フルマラソンという競技の厳しさを再認識させられた。
地獄の後半戦と崩れていく精神
失速は加速度的だった。痛い、辛い、苦しい、止めたい、歩きたい。そんな言葉が、頭の中をループし続ける。
一度ネガティブな思考に支配されると、脚の痛みも、呼吸の苦しさも、何倍にも増幅して感じられる。1キロが、途方もなく長い距離に思える。30キロを過ぎた時点で、残り12キロという数字に絶望した。
「こんな辛い思いをしてまで、何のために走っているのか?」
そんな疑問が心を占めてしまうと、もう立て直すことは難しい。何十人ものランナーに抜かれ、さらに心が折れていく。
マラソンはメンタルのスポーツ
マラソンはメンタルのスポーツである——それを身をもって痛感したレースだった。
弱気なメンタルは、結局最後まで回復することはなかった。ようやくゴールにたどり着いたが、そこで待っていたのは再発した風邪と、重たい後悔だった。
ゴール直後、計測チップを外そうと腰掛けた椅子から、しばらく立ち上がれなかった。熱っぽく、吐き気があり、明らかに体調は悪化していた。すべては自業自得である。
偶然見つけた「標語」に救われて
失意と疲労を引きずりながら、臨時駐車場に戻る。その途中、偶然目に入ったのは、中学校の野球グラウンドに掲げられていた標語だった。
「耐え忍ぶ」
その言葉が、スッと心に染み込んできた。今日の教訓はこれだったのかもしれない。
レースを振り返れば、足りなかったのはまさに「耐える力」だった。病み上がりであることを言い訳に、粘ることをやめてしまった。最後まで気持ちを保つ力が、自分には欠けていた。
人生において起こる出来事は、すべて偶然ではなく必然である。神様が、「お前に足りなかったのはこれだ」と教えてくれたのだと思いたい。
耐え忍ぶ。
今一度、この言葉を胸に刻み、次の目標に向かって進みたい。