大田原マラソンという挑戦
2017年11月23日(木)、今シーズン初戦として栃木県・大田原マラソンを走った。
この大会は、制限時間4時間という全国的にも珍しい厳格なタイム制限が課されるフルマラソンであり、競技性の高い大会として知られている。
コースは、那須野が原の緩やかな傾斜地に設定されており、前半は下り基調、後半は登り基調となる。
この時期特有の「那須おろし」と呼ばれる北風が吹けば、後半は向かい風の中での粘りのレースとなる。
地元のレース、そして突然の喪失
このレースは、自身の出身高校のある地元・大田原市で開催されているにもかかわらず、これまで参加する機会がなかった。
今回は、レースのついでに隣町の実家に立ち寄り、両親の顔を見ていこうと軽い気持ちでエントリーしていた。
しかし、レース直前に父が急逝。
突然の訃報に茫然自失となった。葬儀や手続き、そして将来への不安。心身ともに疲弊しており、マラソンに向かう精神状態ではなかった。
それでも、「逃げずにレースに向き合うことが自分にとって必要だ」と感じていた。
完走だけは果たしたい――人生を駆け抜けた父に捧げるレースとして、この42.195kmに臨む決意を固めた。
スタートラインに立つ理由
この日は小雨の降る肌寒い朝だった。
午前10時、陸上競技場をスタート。前半は脚を温存し、後半の粘り勝負で3時間20分台前半を目指す展開を思い描いていた。
ハーフ通過は1時間37分台。下り基調を活かしながらもオーバーペースにならないよう、慎重に走った。
だが、25km過ぎから集中力が途切れ、脚も気持ちも崩れていった。ペースはキロ7分台まで低下し、次々と抜かれていく。
亡き父への対話
苦しい終盤、私は心の中で父と語り合っていた。
「親父よ、俺はいつまでも不器用なままだ。厳しく叱ってくれたのに、素直になれずに御免な。
いつも酒ばかり飲んでる姿が嫌だったけど、社会に出た今、その気持ちが分かるようになったよ。
なんでもっと一緒に飲んでやれなかったのか。もっと親孝行したかった。御免な、本当に御免な。」
沿道の声援も、終盤には届かなかった。
最後まで走りを立て直すことはできず、競技場に戻ってフィニッシュを迎えた。
父に見せた、不完全なレース
記録は3時間41分台。
この3年間で最も遅いフルマラソンとなった。
心・技・体のバランスを崩した状態では、望むような走りはできない。
特に、精神的疲労が後半の失速に直結したことは明らかである。
それでも、私は走った。
それが父に対する自分なりの弔いであり、誠意であったと今は信じている。
父はもうこの世にはいない。
しかし、父の存在は記憶とともに心の中に生き続けている。
これからも、ずっと。