100マイルの壁に打ち砕かれた夜
畜生――。
2017年7月、私は初挑戦となる「ONTAKE100マイル」に出走した。だが、結果は無念のDNF(途中棄権)。
103km地点の第3関門に、関門時間を約1時間オーバーして到達。完走の夢は、儚く潰えた。
完敗であった。
第3関門アウト、悔しさよりも安堵が勝った瞬間
ONTAKE100マイルは、午後8時スタート、制限時間24時間の過酷な山岳ウルトラ。
関門は4つあり、その通過タイムは以下のとおりである:
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第1関門(52km地点):スタートから8時間後
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第2関門(72km地点):11時間後
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第3関門(103km地点):15時間後
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第4関門(118km地点):18時間後
このコースで特に厳しいのは、最初の第1関門の通過時間。制限時間8時間に対し、私の余裕は15〜30分程度しかなかった。夜間の林道走は調子が上がらず、リズムが掴めなかった。
そして第2関門通過後、悪夢のような状況に陥る。
足底筋膜炎が発症。痛みのために一歩も走ることができず、30km近くをひたすら歩き続けるしかなかった。
このままでは間に合わない。それでも前に進むしかなかった。
日差しは容赦なく照りつけ、身体は干からびていく。
回収車が来るのが先か、自力で関門に辿り着けるのが先か――。そんなことを考えながら足を動かし続けた。
そして突然、前方から回収車が現れた。
私のレースは、その場で、静かに終わりを告げた。残り5kmを軽トラックの荷台に揺られ、第3関門まで運ばれた。
そのとき、悔しさよりも、「もう走らなくていい」という安堵感が勝っていたことを、今でも覚えている。
完走率37.1%。過酷な挑戦だった
この年のONTAKE100マイルには159名がエントリーし、完走者は59名。
完走率はわずか37.1%という過酷なレースであった。
私はこの大会に、2年越しの思いを込めて出走していた。100マイルの距離に挑むという夢を叶えるために――。
だが、現実はそれを許してくれなかった。
100マイルという超長距離は、「心・技・体」すべてが揃わなければ完走できないことを痛感した。
それは頭で理解していたつもりだった。しかし、どこかに油断と慢心があったのかもしれない。
その結果、私は自らの未熟さに打ちのめされた。
御嶽は修験の山、ONTAKEは現代の修行
「御嶽(おんたけ)」という名前には、古来の意味がある。
かつては「おのたけ」、つまり「王の御嶽(オウノミタケ)」と呼ばれた神聖な山であり、修験道の場として多くの行者が訪れたという。
このONTAKE100マイルもまた、まさに現代の修行の場である。
昼夜を問わず、ガレた林道を走り続けるその姿は、修行僧そのものであろう。
このレースをどう捉えるかは人それぞれである。だが私は、この100マイル挑戦を「修行」として、納得いくまで何度でも挑戦し続けたいと思っている。
孤独な夜に、己と向き合う時間
100マイルレースは、参加者も少なく、前後に誰もいない時間が長い。
孤独の中、自問自答を繰り返す。
「自分はなぜ、こんなにも苦しいことをやっているのか?」
その答えは、レース中にふと見えた。
それは――
「弱い自分を認めながら、もっと強くなりたくて走っている」ということだ。
来年こそONTAKEを乗り越える
私はまた、この地に戻ってくる。
そして誓う。次こそはONTAKEを乗り越えてみせる。
山は富士山、嶽は御嶽、そしてウルトラはONTAKE。
この言葉に込められた覚悟と祈りを胸に、再び100マイルの修行に挑む。