2014年4月20日、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンが開催され、私は100kmの部に初挑戦した。
目標は「サブ11(11時間以内の完走)」であったが、85km地点で無念のDNF(Did Not Finish)という結果に終わった。
絶好調で入った前半、しかし…
スタート直後から30kmまではキロ6分ペースを維持。脚も軽く、補給も順調で、序盤は予定通りの展開だった。
ところが、40km過ぎから右膝に違和感が出始める。過去2回のフルマラソンでは膝のトラブルはなく、想定外の異変であった。
応急処置として痛み止めを服用し走り続けたものの、痛みはじわじわと強まり、徐々に失速。
ペースが落ちるとともに、体温低下を感じ始め、腹痛も発症。冷えによる内臓へのダメージだったようで、2度の長めのトイレ休憩を余儀なくされ、「ストッパ下痢止め」でなんとか対処した。
両膝が悲鳴を上げた後半戦
60km過ぎ、今度は左膝痛が発生。右膝を庇った無意識のフォーム変更が原因と思われる。
この頃にはキロ7分台後半までペースが落ちていた。
さらに70km以降は、両膝の痛みで完全に走ることができなくなり、キロ10分の歩行ペースに。
国道139号沿いの歩道を、112km・100km・72km部門のランナーが混在して行き交う中、私は歩くことしかできず、まるで“障害物”になっているような心苦しさを感じていた。
そして、85km地点・西浜小中学校エイドにて、ついに前進困難となり、係員にリタイアを申告。ゼッケンを手渡した瞬間、心の中で「レースは終わった」と実感した。
これが、私にとって人生初のDNF(途中棄権)であった。
今の実力を受け入れて、前へ進む
悔しさはある。根っからの負けず嫌いである私にとって、DNFという事実は簡単に受け入れられるものではなかった。
しかし冷静に振り返れば、今回の敗因は明白である。
走力、筋力、距離に対するマネジメント力の不足。準備不足のまま100kmに挑んだツケが、今回のDNFという形で表れたに過ぎない。
この敗北を素直に受け入れ、経験として自分の糧にしていく。DNFは敗北ではない。成長の通過点に過ぎない。
次こそは、満開の桜の中で富士山を眺めながら、笑ってゴールしたい。
また挑戦する。その時は必ず、完走する。